消えた犬小屋

 その赤い屋根の犬小屋は、電気工事業者の敷地の片隅にあった。隣はゴミ置き場、背後はドブ川と雑木林だ。プレハブの事務所や倉庫からは、それぞれ15メートル程度離れている。小屋の主は、ごく普通の雑種犬だった。誰にも干渉されず、いつ見てもおとなしく座っていた。

 台風が接近していたある時期、犬小屋の屋根と1メートルほど離れたフェンスとの間にブルーシートが張られた。明後日に台風上陸が予想され、雨が激しさを増したある日、犬小屋が消えた。そして台風が去った翌日には、何事もなかったかのように元の場所に戻っていた。

 犬小屋は犬の体に対してかなり大きく、1人では動かすのが難しそうだった。雨の中、何人かの人々が1匹の犬のために犬小屋を避難させている姿が目に浮かんだ。

たこ焼き/もうかる/おばちゃんの時計

<たこ焼きの風景>
 私が3年間住んでいた大阪の下町には多くのたこ焼き屋があった。普通の住宅の一角で営業している店も珍しくない。そういう店には、子供が描いたタコのイラストが看板代わりに貼ってあったりして微笑ましい。一番安い店は、15個で150円。たこは入っているものの、口に入れて感じるのはほとんどが甘いソースと粉の味だ。それでも焼きたてはおいしいので、店の前には子供たちや中高生の姿が絶えない。狭い店内で3人のおばちゃんおじちゃんが、口も手も片時も休ませずに焼いている。
 その店は、かつて商店街だった通りにある。両側の建物は閉店してどれだけ経つのかわからない。向かいの元店舗は屋根が大きく崩れ、歪んだシャッターの隙間から野良猫が出入りする。その通りと直角に交わる公設市場は、道路に面した2店舗が営業するのみで、奥は昼間でも真っ暗だ。商店街としての賑わいは過去のものとなってしまっているとはいえ、桜、藤、楓、観葉植物など、緑は年中絶えることがない。空き店舗の錆びたシャッターの前に何メートルにもわたってビールケースが階段状に置かれ、近所の人が盆栽や鉢植えを並べているからだ。私の娘が片言で花の名前を言っていると、鉢植えの手入れをしていた年配の女性が、「よう知っとるなあ」と言いながら剪定した椿の実を娘に手渡してくれた。幼い孫と遊びながら店番をする女性、どこかの家から聞こえる三味線の音色…。たこ焼きというと、今でもこんな風景を思い出す。

<もうかる>
 大阪に住んでいる時に気づいたのは、こちらの人には、日常生活における損得についての関心を、関東の人よりも率直に表す傾向があるということだ。
 たとえば、ある家の前でケーブルテレビの営業マンがインターホン越しに「光」の利点を語っていた。いつまでも終わらない営業トークを遮り、奥さんが「それで、何かおいしいことあるの?」と鋭く言った。
 こんな光景も見た。行楽地でアイスを買うため小学生の女の子が並んでいた。アルコールが入った父親が、娘に「『おっちゃん多めに入れて』って言ったか?」と大声でたずねた。娘が首を横に振ると、再び「おっちゃん多めに入れてって言いや」と繰り返す。娘が恥ずかしがって飛びはねながら「いや~」と拒否すると、「そういうことは言っておくもんや!」
 全般的に、もったいぶることや回りくどさを嫌う合理的な気質を感じた。
 
 また、戯画化された大阪人のイメージの代表として「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな」というやりとりがあるが、確かにかの地では「もうかる」という言葉が気軽に使われる気がする。ただし、その使われ方は少し意外だった。
 たとえば、ある店で高齢の女性が品物を手に取って「こんなに安くていいの?」と店員に尋ね、「いいんですよ」という答えに「もうかりまっか?」と気迫のある低音で聞き返していたのを見た。近所の奥さんは、携帯電話の販売店で大幅に料金が安くなる料金プランを知り、思わず「それでもうかるの?」と聞いたと話していた。私が聞いた範囲では、価格設定への疑問というか関心がこめられていることも多いようだ。その場にいないとわかりにくいニュアンスである。

<おばちゃんの時計>
 「○○のおばちゃん、何持っとるの?」
 隣で信号待ちをしていた中年女性が、いきなり声を上げたので驚いた。しかし、横断歩道の向こう側にいる知り合いへの呼びかけだとすぐにわかった。そこには、直径30cmぐらいある巨大な目覚まし時計を手に提げたおばちゃんが立っていたのだ。
 「これな、電池入れようと思って」
 「替えるだけやったら、電池買ってくれば……」
 「いや、孫にやろうと思って」
 道路越しに会話は続く。最初に話しかけた女性が納得したように言う。
 「そっか、うちもそういうの探してたんよ」
 そして、声を落として独り言のように続けた。
 「よく見えるな……2時半や」
 最後の一言に「関西的なノリ」の精髄を見た。

水滴と川の“ミッシングリンク”

 長女は1歳半の頃、蛇口から出る水を見て「じゃあじゃあ」と言った。だが、私は「じゃあじゃあ」が絶対に水を指しているとは言い切れないと思った。蛇口と水を一つのものと認識しているか、または水が勢いよく流れている状態そのものを指している可能性もある。長女はやがて風呂桶に満たされた湯も「じゃあじゃあ」と呼ぶようになり、水というものに対する理解が徐々に進んでいることをうかがわせた。

 数ヶ月後、近所の橋を渡っている時に、欄干の隙間から川をのぞいた長女が「じゃあじゃあ」と言った。それまで川の水に直接触れたことはない。最も近くに行った時でも数メートルの距離はあったし、しかもそれは淀川の河口付近で、町中の川とは川幅も水の色も全く違う。家の蛇口から出るものと、川を流れるものが同じ「じゃあじゃあ」であることにいつ、どのようにして気づいたのだろうか。

 ひとつ考えられるのは、絵本などを見ている時、「川にはお水が流れているね」といった親のなにげない語りかけを通じて、既に理解していた「水」と結びつけたということだ。ただ、実際はそのような語りかけをした覚えがないので、蛇口の水が川とつながった瞬間は、結局よくわからない。大人が思う以上に、子供の認識力は急速に発達するようだ。

幸福論

 「ユウキがタカノリにキスしにいくのが可愛いな。ちゅーっとしにいくのが可愛いな」
 近所の小さな喫茶店で、奥さんとお姑さんの厨房での雑談が耳に入った。10人ほどで満席になる店内に客は私1人。話の内容はよく聞こえる。タカノリは店主の、ユウキはたまに店に姿を見せる小学1年生の男の子のことらしい。
 「幸せやな。タカノリも幸せや」
 お姑さんが続けた。奥さんはさらりと受け流していた。私は、ここまで何の衒いもなく「幸せ」という言葉が使われるのを聞いたことがない。

 川べりの集合住宅の前で、天気の良い日、人形を抱いた高齢の女性が座っているのをよく見かけた。ベビーカーを押しての散歩道、いつしか挨拶を交わすようになった。人形はおそらく手作りで、ニット帽とマフラーを身に着けている。手元に来てから10年になるそうだ。孫も成長して会う機会が少なくなった今、人形は大切な友達だという。「初めのうちはただの物だと思っていた人形にも、長い付き合いのうちに魂があると感じるようになった」「放っておくと怒ったような表情に、一緒に寝たりして構ってあげているとうれしそうな表情をする」……彼女はそんな風に語っていた。
 人によっては、高齢者が人形をかわいがる姿を「かわいそう」と感じるのかもしれない。だが、私は彼女に痛々しさを全く感じなかった。いつも穏やかな表情でニコニコしていて、話し方もしっかりしているからだ。
 ある時、挨拶を交わした後、坂道を上る途中でふと下を振り返ってみた。彼女は横抱きにした人形を静かに左右にゆすっていた。それはまさしく赤ん坊をあやしたり、寝かしつけたりする動きだ。何十年も前の母親としての記憶が、もしかしたらさらに遠い昔に彼女自身がそうされていた記憶が、その動きを導き出しているのだろうか。彼女の小さなファンタジーの世界にも、「幸せ」のひとつの姿が確かにあると思った。

 あまりにささやかな「幸せ」だからこそ、何者にも邪魔されることなく続いてほしい。