水滴と川の“ミッシングリンク”

 長女は1歳半の頃、蛇口から出る水を見て「じゃあじゃあ」と言った。だが、私は「じゃあじゃあ」が絶対に水を指しているとは言い切れないと思った。蛇口と水を一つのものと認識しているか、または水が勢いよく流れている状態そのものを指している可能性もある。長女はやがて風呂桶に満たされた湯も「じゃあじゃあ」と呼ぶようになり、水というものに対する理解が徐々に進んでいることをうかがわせた。

 数ヶ月後、近所の橋を渡っている時に、欄干の隙間から川をのぞいた長女が「じゃあじゃあ」と言った。それまで川の水に直接触れたことはない。最も近くに行った時でも数メートルの距離はあったし、しかもそれは淀川の河口付近で、町中の川とは川幅も水の色も全く違う。家の蛇口から出るものと、川を流れるものが同じ「じゃあじゃあ」であることにいつ、どのようにして気づいたのだろうか。

 ひとつ考えられるのは、絵本などを見ている時、「川にはお水が流れているね」といった親のなにげない語りかけを通じて、既に理解していた「水」と結びつけたということだ。ただ、実際はそのような語りかけをした覚えがないので、蛇口の水が川とつながった瞬間は、結局よくわからない。大人が思う以上に、子供の認識力は急速に発達するようだ。