幸福論

 「ユウキがタカノリにキスしにいくのが可愛いな。ちゅーっとしにいくのが可愛いな」
 近所の小さな喫茶店で、奥さんとお姑さんの厨房での雑談が耳に入った。10人ほどで満席になる店内に客は私1人。話の内容はよく聞こえる。タカノリは店主の、ユウキはたまに店に姿を見せる小学1年生の男の子のことらしい。
 「幸せやな。タカノリも幸せや」
 お姑さんが続けた。奥さんはさらりと受け流していた。私は、ここまで何の衒いもなく「幸せ」という言葉が使われるのを聞いたことがない。

 川べりの集合住宅の前で、天気の良い日、人形を抱いた高齢の女性が座っているのをよく見かけた。ベビーカーを押しての散歩道、いつしか挨拶を交わすようになった。人形はおそらく手作りで、ニット帽とマフラーを身に着けている。手元に来てから10年になるそうだ。孫も成長して会う機会が少なくなった今、人形は大切な友達だという。「初めのうちはただの物だと思っていた人形にも、長い付き合いのうちに魂があると感じるようになった」「放っておくと怒ったような表情に、一緒に寝たりして構ってあげているとうれしそうな表情をする」……彼女はそんな風に語っていた。
 人によっては、高齢者が人形をかわいがる姿を「かわいそう」と感じるのかもしれない。だが、私は彼女に痛々しさを全く感じなかった。いつも穏やかな表情でニコニコしていて、話し方もしっかりしているからだ。
 ある時、挨拶を交わした後、坂道を上る途中でふと下を振り返ってみた。彼女は横抱きにした人形を静かに左右にゆすっていた。それはまさしく赤ん坊をあやしたり、寝かしつけたりする動きだ。何十年も前の母親としての記憶が、もしかしたらさらに遠い昔に彼女自身がそうされていた記憶が、その動きを導き出しているのだろうか。彼女の小さなファンタジーの世界にも、「幸せ」のひとつの姿が確かにあると思った。

 あまりにささやかな「幸せ」だからこそ、何者にも邪魔されることなく続いてほしい。