カラーチャート作成

 スタンプインクが増えてきたのでカラーチャートを作りました。これまでも単語帳のような形式の色見本は作っていましたが、nuvoなどの着色料やコピックも含め、手持ちの着色アイテム全てを一覧にしようと思いついたのです。参考にしたのは『配色イメージワーク』(小林重順著、日本カラーデザイン研究所編、講談社)。この本に、色相とトーンによって有彩色120色、無彩色10色を秩序正しく並べた表が掲載されているので、同じ形式の表を作り、手持ちの着色料を本と比較しながら一つずつ当てはめていきました。
 紙は12インチのカードストックを使っています。ちょうどよい数にページを区切るのが意外にうまくいかず、1つの欄が小さすぎたり、記載ミスが重なったりで、3回作り直してようやく納得いく形に。


 かなり面倒な作業でしたが、自分の傾向がわかり、色々な疑問が解決したので、苦労した甲斐がありました。『配色イメージワーク』の「色彩の基礎知識」という章に「配色を見る時は、まず色相を見分け、次にトーンを確認しよう」という一文があるのですが、私は色相環はなんとなく理解していたものの、トーンに対する認識がほとんどなかったです。たとえば「明るい」の分類だけでも、さらにB(ブライト)、P(ペール)、Vp(ベリーペール)と細分化されているのに驚きました。
 また、私は緑色が好きでついつい購入してしまうのですが、「同じグリーン同士のはずなのにあまり合わない」とか「思っていた緑と何か違う」ということがよくありました。これもチャートを見れば一目瞭然で、私は圧倒的にYG(黄緑)系が好きで、G(緑)、BG(青緑)とブルーに近づくにつれて苦手意識が出てくるようです。好きな色が赤、橙、黄色の3列にとても偏っていることもわかりました。特に黄色は多すぎ!


 他にも、「茶色は、黄色や橙の仲間だったんだ」「Stampin’Up!の「リアルレッド」という色は赤より赤紫に近いな」「同じブラックでも結構色合いが違う。特にメメントのタキシードブラックは明るめかな」「同じメーカーのこの2色、ほぼ同じじゃないか?」などと様々な発見がありました。紙によって発色が異なるので、この分類が絶対正しいというわけではありませんが、色をより深く見る練習になりました。今後は、あまり持っていない系統の色にも意識して挑戦してみようと思います。

一期一会

 クラフト用品の整理をしていたら、4年前ほど前に購入した消しゴムはんこ関連グッズが出てきました。メーカー2社の代表的な製品が2つずつ、トレーシングペーパーと消しゴムはんこの基本が書かれた説明書もついていました。

f:id:azarashi74:20200630013447j:plain

 消しゴムはスタッフが一つ一つカット、説明書も手書きで手間暇がかかっています。異なるメーカーの製品を少しずつ試してみたいという希望を叶えてくれる、使い手の側に立った良心的な商品でした。私は消しゴムはんこは趣味として続けられなかったのですが、手作り感のある説明書がもったいなくて捨てられなかったのだと思います。このお店ではよくペーパークラフト用品を購入しましたが、閉店してしまって残念です。

 以前の記事でも書いたように、私は2019年の4月頃にスタンプにはまり出しました。ネットで検索すると、スタンプ専門イベントがあることを知りましたが、実は既に開催中止が決まっていたり、その年が最後の開催になると発表されたり。自分のタイミングの悪さにがっかりし、取り残されたような寂しさを感じました。そんな中「すたんぷえん」というお店を見つけ、「スタンプ専門店があるんだ」と喜んでブックマークしましたが、数日後に2回目のアクセスをした時に見たのはなんと閉店のお知らせ…。それから閉店までの3ヶ月、時間をかけてお店のコンテンツを隅々まで読み、多くのことを学ばせていただきました。

 イベントは参加できる時には迷わず参加し、良いお店だと思ったらできるだけ利用しよう。なくなってしまってから嘆いても仕方ないのだから…。改めてそう思いました。

猫を尾行する

 2歳の末っ子と散歩している途中、いつも何匹かの野良猫の姿を見かけるアパートの前を通りかかった。そこにいる猫たちは大抵は寝そべっていたりじっと座っていたりするだけだが、その日は一匹のキジトラが歩いてくるのが見えた。私たちの立っているフェンスの手前で、アパートの敷地と隣接する駐車場とを区切るブロック塀が途切れており、猫一匹がちょうど通れるくらいの隙間がある。キジトラはその隙間から駐車場側に抜け出て、ブロック塀に沿ってまっすぐ進んだ。突き当たった所で向きを変え、駐車場を取り囲む塀に沿って遠ざかる。一台の車の陰で獲物を見つけたのか、伏せてお尻を振ってからパッと前方に飛ぶ動きを繰り返す。そのあたりでは猫の姿はもうかなり小さくしか見えないのに、子供は「ネコちゃん、どこ?」と繰り返しながら一歩も動こうとしない。

  やがてキジトラは歩き始め、20~30m進んで駐車場の入口にやってきた。ゲートバーの土台のコンクリ部分で寝転がり、コロコロと背中をこすりつける。そして道を横切り、近くの橋の欄干の間から顔を出し、何かをじっと見ている。その様子を後ろから歩く私たちがじっと見ている。橋を渡ったキジトラは、さらに道を横切り、大きなマンションに通じる階段を上って姿が見えなくなった。用もなくマンション敷地内に入るのは憚られたため、そこで私たちの追跡は終わりとなった。こちらが思っていた以上に広い範囲を移動すること、餌を探し回るというより自分の縄張りを巡回しているように見えたことが印象的だった。

  大人が1人でこんな観察をしていては不審者にしか見えないが、散歩中には子供の関心の赴くまま極力付き合うことにしたため、普段見られないものが見えた。

このブログについて

 このたび手芸やクラフトについてのカテゴリーを新しく作ったので、改めて自己紹介をしたいと思います。

 家族の影響で、子供の時からものづくりに興味がありました。祖母は洋裁と編み物が得意。母は服飾系短大の出身で、私と弟の通園・通学グッズの多くに刺繍やアップリケが施されていました。思春期になると「親の手作りなんてダサい、既製品の方がいい」と思うようになるという人もいるようですが、私はそう感じたことは一度もありません。

 大人になって自由に使えるお金が増えてから、様々なジャンルの手芸やクラフトを体験しました。しかし、大半は材料を買うだけで満足してしまったりして、長続きしたものはほとんどありませんでした。唯一向いていると感じたのは刺繍で、先生について2年間習いました。大人になってからの習い事の最長記録です。

 子供が生まれてからスクラップブッキングに興味を持ち、少しずつ材料を買い集める過程でスタンプが気になりだしました。「エンベリやパターンペーパーを多種類そろえるのは大変だけど、スタンプを使えば節約になるかも?」と気づいたのです。その思いつき自体は悪くなかったのですが、個性豊かなメーカーが数多く存在する輸入ラバースタンプの世界は想像以上に奥が深く、今度はスタンプやインクが増える一方で、全く節約効果はありませんでした。現在はスタンプアートやスクラップブッキングなどペーパークラフトが主ですが、刺繍も再開したいと思っています。 

 なお、ブログタイトルの「あざらし」はプロフィールの自画像のイラストに由来しています。

 ★好きなもの★

 プロレス/団体:新日本プロレス、選手:棚橋弘至、SHO

 読書/岡本綺堂夢野久作多岐川恭日影丈吉クラーク・アシュトン・スミスウィリアム・ホープ・ホジスン

 音楽/レイ・ハラカミPete Rock、Hieroglyphics

プロレスと私【2】

 1995年に「スペル・デルフィン股くぐり事件」と呼ばれる出来事が起きた。当時、事件について週刊プロレス(以下週プロ)誌上で知った私は「この人、ここまでやっちゃったらもう人前に立てないわ~。ファンが悲しむだろうな」と、哀れみとも失望ともつかぬ感想を抱いた。その後の週プロでも、屈辱のあまり消息を断ったデルフィンに関する続報が掲載されていた。記者がデルフィンの実兄を訪ね、ファンの手紙を手渡したという記事もあったと記憶している(真面目な顔で手紙を読む兄の写真付き)。その際も私は本気で「もう放っておいてやればいいのに」と考えていた。 

 

 私は昔から大仁田厚が苦手だったので、1999年に新日本に参戦した時は、「長州にボコボコにされて恥をさらすだろう」と楽しみにしていた。真鍋アナを巻き込んでの「大仁田劇場」にもしらけるばかりで、早く試合が終わってほしいと思っていた。ところが、大仁田の敗北で終わった試合後の長州のコメントには、試合前の舌鋒の鋭さとは一転して、相手を認めるようなニュアンスがあった。「あれ?」と思い、やがて気づいた。もし自分が団体経営者なら、参戦するだけでプロレス界で大きな話題となり、集客に貢献するような選手を1度しかリングに上げないという選択をするだろうか? 大人の事情に思いを馳せるようになった一つのきっかけだったが、不思議と裏切られたという感覚はなかった。 

 

 それから何年もたって思い返した時、自分は「股くぐり事件」の時21歳、「大仁田劇場」の時25歳だったことに気づいた。20歳過ぎた人間が「デルフィンは放っておけばいい」と呆れ、「大仁田を2度と新日に上がれないようにして!」と熱くなる。それは年の割には純朴な反応、もっとはっきり言うと「アホ」ではないかと思った。しかし、アホを自覚したことによって肩の力が抜け、自分を有能で賢い人間に見せたがるような気負いがなくなっていった気がする。

 

プロレスと私【1】

 ある日、私の脳裏に突然、リング上で1人のプロレスラーを数人が袋叩きにする場面が浮かんだ。腰をかがめて防御態勢を取る相手の背中に、一斉に両の拳を打ち付ける。もっとも、傍から見る限り「多勢に無勢で痛め付けている」という陰惨な印象は薄い長閑な風景である。包囲網の中のレスラーは相応のダメージを受けていると思われるのに、「ポカポカ」という漫画的な擬音が似合う軽快な叩き方であるため、子供がふざけている姿を連想してしまうからだ。技と呼んでいいのか疑問を感じるものの、正式な技名もあったはずだ。家事をしながら記憶を探ること2時間、ようやく答えにたどり着く……「太鼓の乱れ打ち」。思い出せて良かった。

 

 10代から20代の頃、私は毎週プロレス週刊誌を購読していた。生観戦は年に2~3回程度で、プロレスについての知識の大半は雑誌や書籍から得る、かつてよく用いられた表現で言うところの「活字プロレス」専門だった。覚えているのは、山川竜司のイリュージョン、高野拳磁ブーム、IWA・浅野起洲社長とケンドー・カシンとの絡み、一宮章一の偽造シリーズなどシュールな絵面の数々。中でもミスター・ポーゴの「凶化合宿」の斬新さには目を見張った。浜辺でポーゴジープを駆ってランニングする若手を追い立てたり、鎖鎌を振り回したり。「協力・海の家○○」と取材場所が記載してあるのが、誌面の殺伐とした空気を和らげていた。

 

 観客の前で戦うことを生業とする男たちが見せる、少しだけ間の抜けた場面には心惹かれるものがある。最初からユルさを自覚して開き直っているのではないところがポイントだ。

青い光

 江戸時代に栄えたという旧街道沿いに、かつて店舗だったのであろう一軒の建物があった。店内は天井近くまでおびただしい物品で埋め尽くされ、文字通り足の踏み場もない様子が汚れた窓越しに見える。物品は室内に収まらず、店の脇のコンクリート塀に沿って数メートルに渡りうずたかく積み上げられている。箱や布製品……日光と風雨に晒されて色褪せた正体不明の品々は、ゴミと見分けが付かない。
 店の軒下にはビニール紐に食品トレイを何枚も取り付けたものがガーランドのように吊るしてある。食品トレイには文字が書かれていて、多くは消えかけてよく見えないが、中には「来年、店を新築します」というものもあった。歴史の風格とは異なる、混沌とした荒廃ぶりは周囲から浮いていた。
 かつて私は、時折その街道を散策することがあり、そのたびに件の店の前を通っていた。ある時、店の中に青く光るものが見えた。がらくたの山の一角のテレビにスイッチが入っている。店の入口は物で塞がれ、出入りは不可能に思えた。誰が何のためにテレビをつけたのだろう。それとも単なる誤作動だろうか。建物に電気が通じていたことにも驚いた。青い光を見たのはその一回だけだ。

 当時、自宅の近くに一軒の古い住宅があった。隣のビルの陰になっているせいか、人通りが多い場所にありながら、どこか奥まった薄暗い雰囲気の家だった。いつ通っても住人の姿を見たことがない。夕方には早々と雨戸を閉ざしている。ある年の大晦日の夜、珍しくその家の1階の雨戸が閉められておらず、明るい室内が見えた。庭木の陰から、庭に背を向けて座敷に座る男性の後ろ姿が少しのぞいていた。憶測だが、その家の住人は夫婦または一人暮らしの高齢者で、時折独立した子供が帰ってくるのかもしれない。
 ある日の夕暮れ時、その家の1階に青い四角い光が見えた。ちらつくその光はテレビがそこにあることを示していた。既に太陽の光はほとんど消えていたが、暗い部屋でテレビだけが光源となっていた。

 テレビ画面から発する無機的な光が「そこに誰かが生きている証」に感じられるというのも奇妙な話だ。