プロレスと私【2】

 1995年に「スペル・デルフィン股くぐり事件」と呼ばれる出来事が起きた。当時、事件について週刊プロレス(以下週プロ)誌上で知った私は「この人、ここまでやっちゃったらもう人前に立てないわ~。ファンが悲しむだろうな」と、哀れみとも失望ともつかぬ感想を抱いた。その後の週プロでも、屈辱のあまり消息を断ったデルフィンに関する続報が掲載されていた。記者がデルフィンの実兄を訪ね、ファンの手紙を手渡したという記事もあったと記憶している(真面目な顔で手紙を読む兄の写真付き)。その際も私は本気で「もう放っておいてやればいいのに」と考えていた。 

 

 私は昔から大仁田厚が苦手だったので、1999年に新日本に参戦した時は、「長州にボコボコにされて恥をさらすだろう」と楽しみにしていた。真鍋アナを巻き込んでの「大仁田劇場」にもしらけるばかりで、早く試合が終わってほしいと思っていた。ところが、大仁田の敗北で終わった試合後の長州のコメントには、試合前の舌鋒の鋭さとは一転して、相手を認めるようなニュアンスがあった。「あれ?」と思い、やがて気づいた。もし自分が団体経営者なら、参戦するだけでプロレス界で大きな話題となり、集客に貢献するような選手を1度しかリングに上げないという選択をするだろうか? 大人の事情に思いを馳せるようになった一つのきっかけだったが、不思議と裏切られたという感覚はなかった。 

 

 それから何年もたって思い返した時、自分は「股くぐり事件」の時21歳、「大仁田劇場」の時25歳だったことに気づいた。20歳過ぎた人間が「デルフィンは放っておけばいい」と呆れ、「大仁田を2度と新日に上がれないようにして!」と熱くなる。それは年の割には純朴な反応、もっとはっきり言うと「アホ」ではないかと思った。しかし、アホを自覚したことによって肩の力が抜け、自分を有能で賢い人間に見せたがるような気負いがなくなっていった気がする。