青い光

 江戸時代に栄えたという旧街道沿いに、かつて店舗だったのであろう一軒の建物があった。店内は天井近くまでおびただしい物品で埋め尽くされ、文字通り足の踏み場もない様子が汚れた窓越しに見える。物品は室内に収まらず、店の脇のコンクリート塀に沿って数メートルに渡りうずたかく積み上げられている。箱や布製品……日光と風雨に晒されて色褪せた正体不明の品々は、ゴミと見分けが付かない。
 店の軒下にはビニール紐に食品トレイを何枚も取り付けたものがガーランドのように吊るしてある。食品トレイには文字が書かれていて、多くは消えかけてよく見えないが、中には「来年、店を新築します」というものもあった。歴史の風格とは異なる、混沌とした荒廃ぶりは周囲から浮いていた。
 かつて私は、時折その街道を散策することがあり、そのたびに件の店の前を通っていた。ある時、店の中に青く光るものが見えた。がらくたの山の一角のテレビにスイッチが入っている。店の入口は物で塞がれ、出入りは不可能に思えた。誰が何のためにテレビをつけたのだろう。それとも単なる誤作動だろうか。建物に電気が通じていたことにも驚いた。青い光を見たのはその一回だけだ。

 当時、自宅の近くに一軒の古い住宅があった。隣のビルの陰になっているせいか、人通りが多い場所にありながら、どこか奥まった薄暗い雰囲気の家だった。いつ通っても住人の姿を見たことがない。夕方には早々と雨戸を閉ざしている。ある年の大晦日の夜、珍しくその家の1階の雨戸が閉められておらず、明るい室内が見えた。庭木の陰から、庭に背を向けて座敷に座る男性の後ろ姿が少しのぞいていた。憶測だが、その家の住人は夫婦または一人暮らしの高齢者で、時折独立した子供が帰ってくるのかもしれない。
 ある日の夕暮れ時、その家の1階に青い四角い光が見えた。ちらつくその光はテレビがそこにあることを示していた。既に太陽の光はほとんど消えていたが、暗い部屋でテレビだけが光源となっていた。

 テレビ画面から発する無機的な光が「そこに誰かが生きている証」に感じられるというのも奇妙な話だ。