プロレスと私【1】

 ある日、私の脳裏に突然、リング上で1人のプロレスラーを数人が袋叩きにする場面が浮かんだ。腰をかがめて防御態勢を取る相手の背中に、一斉に両の拳を打ち付ける。もっとも、傍から見る限り「多勢に無勢で痛め付けている」という陰惨な印象は薄い長閑な風景である。包囲網の中のレスラーは相応のダメージを受けていると思われるのに、「ポカポカ」という漫画的な擬音が似合う軽快な叩き方であるため、子供がふざけている姿を連想してしまうからだ。技と呼んでいいのか疑問を感じるものの、正式な技名もあったはずだ。家事をしながら記憶を探ること2時間、ようやく答えにたどり着く……「太鼓の乱れ打ち」。思い出せて良かった。

 

 10代から20代の頃、私は毎週プロレス週刊誌を購読していた。生観戦は年に2~3回程度で、プロレスについての知識の大半は雑誌や書籍から得る、かつてよく用いられた表現で言うところの「活字プロレス」専門だった。覚えているのは、山川竜司のイリュージョン、高野拳磁ブーム、IWA・浅野起洲社長とケンドー・カシンとの絡み、一宮章一の偽造シリーズなどシュールな絵面の数々。中でもミスター・ポーゴの「凶化合宿」の斬新さには目を見張った。浜辺でポーゴジープを駆ってランニングする若手を追い立てたり、鎖鎌を振り回したり。「協力・海の家○○」と取材場所が記載してあるのが、誌面の殺伐とした空気を和らげていた。

 

 観客の前で戦うことを生業とする男たちが見せる、少しだけ間の抜けた場面には心惹かれるものがある。最初からユルさを自覚して開き直っているのではないところがポイントだ。